韓国国家情報院HPから
97年10月、在野団体である「蔚山連合」幹部チョン某氏が、男女2名が訪ねてきて、「北朝鮮から来ました。北に一緒に行きましょう。」と話し、申告、捜査機関において南派工作員の素行と判断し、出現可能地域等の潜伏監視及び予想逃走路の遮断等、容疑者を追跡していたところ、97年10月27日、蔚山の某コーヒー・ショップでチョン某氏と再度接触しようとしていた挙動不審の男女2名を現場で検挙、捜査の結果、彼らが北朝鮮から直派された社会安全部所属崔ジョンナム、カン・ヨンジョン夫婦工作員であることが明らかになり、ソウル地下鉄動作設備分所長シム・ジョンウン一家が包摂され、暗躍中の固諜網という事実が判明した事件である。
間諜崔ジョンナムは、84年4月、沙里院大4年在学中、カン・ヨンジョンは、86年9月、高校卒業直後に工作員に選抜され、教育中の90年11月に結婚した。
![]() 夫婦間諜崔ジョンナム、カン・ヨンジョン |
実際の夫婦工作員として、彼らは、南派時、工作指導部から「シム・ジョンウンと接線、活動事項を点検・督励し、有事の際、ソウル地下鉄を麻痺し得る方案を報告せよ」という基本任務と「大選動向等、韓国情勢資料を収集、慶北大 金スングォン教授が開発した優良トウモロコシの種子を入手」等の副次的任務を指示され、97年7月30日、拳銃2挺、工作金3,000余万ウォン等を所持して、南浦港を出発し、8月2日2330頃、慶南巨済郡カルゴッ里海岸に浸透した。
浸透後、彼らは、20余日間、全国各地を訪れ、現地適応訓練を行った後、8月23日、ソウル九老洞に隠身拠点を設け、ソウル地下鉄工師シム・ジョンウンと6回に渡り接線し、「祖国統一賞」授与の事実と暗号解読及び新型無線機の使用方法等を教育し、有事の際、地下鉄を麻痺し得る方法を報告させるようにし、金正日就任祝賀用「忠誠の手紙」を作成するように指示する等、長期潜伏固諜網を指導検閲した事実が明らかになった。
一方、冠岳山、慶州民族工芸村の山野、ポンチョン洞チャングン峰体育公園等、6ヶ所の「ドゥボーク」からチェコ製拳銃3挺、実弾170発、毒銃、毒針、毒薬アンプル等、人命殺傷用装備10種205点と無線機・乱数表等、計54種284点を間諜装備を発掘した。
![]() 帰順者李韓永狙撃事件が北朝鮮工作員の素行であることを立証するチャングン峰第2ドゥボーク発掘装備 |
シム・ジョンウン一家地下家族党包摂経緯及び活動事項
ソウル地下鉄動作設備分所長シム・ジョンウンは、58年9月、間諜として南派された従兄弟シム・ウンソプに包摂されて入北、間諜教育を受け、「交通校に進学、卒業後、鉄道分野に就業せよ」との指令と共に、「チョルマ山66号」という工作符号を受けて帰還した後、66年4月、2次入北、「鉄道の核心施設を了解し、有事の際、活用できるように同調者を包摂せよ」という指令と共に、無線機等の通信装備と工作金1,000米ドルを授受、84年、ソウル地下鉄工事に転職勤務し、89年5月〜11月の間、南派間諜ユン・テクリムと11回に渡り接線する等、国家機関施設に浸透、39年間、暗躍してきたことが明らかになった。
![]() 崔ジョンナムに伝達した忠誠誓約文及び各種文件 |
シム・ジョンウンの6男シム○○は、67年6月、南派された叔父シム・ウンソプに従って入北し、間諜教育を受けて帰還した後、ソウルに移住、暗躍し、89年10月、南派間諜ユン・テクリムから活動事項を検閲されたことが確認され、また、シム・ジョンウンの叔父
金○○は、65年12月、結婚直後から舅(死亡)と甥のシム・ジョンウン等の工作文件伝達及び間諜装備隠匿等、連絡役として活動してきた。
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北朝鮮直派夫婦間諜及び連携固諜網事件鹵獲装備:計212種2,040点 |
事件の特徴及び北朝鮮の対南工作の実状
北朝鮮の対南工作部署は、30代の若い層のいわゆる「新世代指導核心工作員」を厳選、徹底した以南化教育と海外適応訓練を経て、我が社会に浸透させ、彼らは、在野人事が無条件で自分達側だという確信の下で会うや、対南工作員であることを堂々と明らかにして、越北を勧誘する位、大胆さを見せ、韓国内のエリート階層を大挙包摂し、彼らを組織化するのに力を注いでおり、戦争開始初期段階において国家機関施設を麻痺させるため、国内主要施設に地下網構築活動を強化し、通常の間諜行為の外に、帰順者李韓永を殺害する報復テロを実行したりすれば、工作員を養成する教官として活用するため、高校生まで拉致し、分別能力が不足した16歳の少年シム・ジョンウンを革命の道具として包摂する等、反人倫的行為を実行してきたことが今回の捜査で明らかになった。
最終更新日:2004/03/19
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